母は利用規約を読まない

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母に頼まれ利用規約を代わりに確認してあげるのも、いまどきらしい親孝行の姿なのかもしれない。では、僕が年老いる未来も、子に同じことを頼むのだろうか。

利用規約に同意しない母と、それを手助けする息子

母が息子である僕にLINEで連絡をしてくるとき、たいてい細かい文字のスクリーンショットがついてくる。

送られてくるその画像を拡大すると、

など、いつも決まってサービス利用規約やプライバシー関連の同意に関するものだ。

僕の実家にもご多分に漏れず、TV・PC・スマートフォン・ブルーレイレコーダーなど、様々な機器がある。それらのデジタルデバイスがこの類の同意を求めてくるたびに、母から「どうすれば良い?」という連絡が、そこそこの頻度でやってくる

母はもう70歳近い。アナログのブラウン管TVで白黒からカラーに切り替わったくらいの世代だ。その環境で育っている割には、デジタルデバイスを使えている方だと思う。「Netflixがないと、生きる楽しみがだいぶ減る」とも言っている。

そんな母が初めてPCを触った時には、14インチの液晶の中で、カーソルが迷子になっていた。まるで飲酒運転時の車のように、大きく蛇行しながら移動するのだけれど、目的の場所になかなかたどり着かなかったのを覚えている。

その頃から比べれば、PCで意気揚々と買い物を楽しんでいる今の状況は、デジタルデバイスをある程度使えているといって良い。誰に教わったかは知らないが、Amazon内にある商品の価格推移が見られるブラウザの拡張機能で価格変動を見て、ECサイトを渡り歩いているんだから。

どうにもならない利用規約の長さ

そんな母も、ブラウザやアプリから同意だの許可だのを求められると、判断を嫌がる。

書いてある文章が長いことが一番の不満 だ、と漏らす。

文章が長い。いや、確かに長い。例えばNetflixの「利用規約」は7,000文字を超える。「個人情報保護方針」にいたっては14,000字近くある。

Amazonの利用規約だって、9,000文字を超える。その上、他の文書へ飛ぶ無数のリンクが設定されているので、読む文章は五月雨式に増えていく。

そんな状況にうんざりしているのは、日本人だけじゃない。例えば、オーストラリアの消費者団体Choiceは、俳優を雇いKindleの「Terms and Conditions」を読ませるという動画を公開した。

動画は9本に分けられていて、それぞれのエピソードには、

「No Hope」
「The Kindle Strikes Back」
「Return of the Jargon」

などのタイトルが付いている。ジェダイを信奉する者にとってはピンとくるフレーズだ。同団体は非常にシニカルにパロディ化したサブタイトルを付けて、利用規約にまつわる問題を提起している。

この動画で俳優は、全73,198語を9時間ほどかけて読みきっていた。途中、頬杖を付きながら苦虫を噛み潰したような顔をしていたり、書籍化した「Terms and Conditions」を地面に投げつけたりしている。

利用規約を読まないのは母だけではない

利用規約を読まず、息子に丸投げしてくる母のことを、僕は責められるだろうか?

かくいう僕自身も、「利用規約」や「プライバシーポリシー」を全部読んでいるかと問われれば、後ろめたい気持ちになる。多くの人が同じだろう。

2020年の公正取引委員会の調査によれば、利用規約を全部読んで同意するユーザーは5.5%に過ぎないことがわかっている(関連記事:利用規約を全部読んで同意するユーザーは何%?—公正取引委員会「デジタル広告の取引実態に関する中間報告書」)。

また、何年か前に、セキュリティ企業であるF-Secureが主催した実験では、無料WiFiが使用できる変わりに、長男・長女をWiFi提供企業に譲渡する規約を盛り込んだところ、なんと6人が同意した。

もちろんF-Secureの法律顧問は、このような内容は公序良俗に反しており、法廷で強制力を持たないだろうとコメントしているが、なんだかんだ、みな読んでいないのだ。

そんな自分が、母に代わって利用規約を読み、不安を解消してあげることで少しの親孝行になるのなら、お安い御用だ。

法によって無効化され、大衆によって炎上させられる利用規約

利用規約は、提供者と利用者の約束事。提供者側は、利用者にサービスを使って欲しいけど、この約束を守った上で利用してね、という。利用者は、それに対して同意をしてサービスを使う。非常にシンプルな話だ。

なぜ、そこに長い利用規約が必要なのか

雨宮美季・片岡玄一・橋詰卓司著『【改訂新版】良いウェブサービスを支える「利用規約」の作り方』(技術評論社,2019)は、サービス提供者である企業の立場から、ユーザーとの相互理解の重要性を説きつつも、企業の防御のためにある程度の長さになるのは止むを得ないことだと述べる。

だからといって、企業側に有利すぎる(利用者が一方的に不利になる)条件が書き連ねられた利用規約は、消費者契約法によって無効になることもある。

直近では、DeNAが運営するモバゲーの利用規約において、一切責任を負わないという免責文言が否定される判決が下っている(関連記事:モバゲー規約差止め判決—「一切責任を負わない」型完全免責条項の終焉

法律以前の問題として、その内容により炎上するケースも見てきた。過去には、ユニクロがオリジナルTシャツを作成できるアプリ「UTme!」において著作物に関する全ての権利を同社に譲渡する旨の記載があり、大いに燃えた。

写真界隈で言えば、フィルムで有名なkodakの子会社kodakitが運営する写真家とクライアントをマッチングさせるサービス「kodakit」でも炎上した。

炎上の理由は、「kodakit」の利用規約において撮影した写真の全ての著作権の譲渡を求めたことだ。カメラマン側にとってあまりにも不利な条件であり、界隈では燃え、開始後数年で運営を停止している。

お互いにシンプルを望んでいるはずが、相手に抱くちょっとした不安や不信から長くなり、その長さがまたさらなる不信を生む。利用規約はいまだにこのスパイラルから皆逃れられないでいる。

長さを克服する工夫が生まれるのが先か、僕らが耄碌するのが先か

そんな状況に対して、利用規約を作成する側も様々な工夫を凝らし、打開しようとしている。

ゲームの世界では、規約にもエンターテインメント性を持ち込み、飽きさせないよう工夫をしている企業がある(関連記事:「サイバーパンク2077」利用規約のパンクな特徴7つ)。

サインのリ・デザインで連載をしているいとう氏は、もっとドラスティックに、文字から脱却し、イラストなどを用いるべきだと意見を述べている(関連記事:法務パーソンが考える新しい契約のかたち—デジタルベースの統一規格化と個別化

文字からの脱却。たしかにそうだ。目の見えない人に死ぬほど長い利用規約を音声で聞かせるのか、という問題解決へのアプローチも考えるべきだろう。

次世代の新しいプラットフォームを睨んでFacebookはVRに何千億円も投資しているし、AppleもARに関する研究に相当に力を入れているという。当然、新しい利用規約や契約の意思表示をするUI/UXも、大きく変わるはずだ。

あと10数年もすれば、STEM教育や2020年から必修化されるプログラミング教育を受けて育ったプログラミングネイティブ世代が成人する時代が来る。母が規約の同意の是非を僕に託しているように、30年後の僕も、若い世代を頼るのだろうか

そうせずに済む日が先にくることを願いたい。

(写真・文 宗田)

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